惰性とこだわりと効率的

 前から一月と。何にも面白いことも起こらずに一月が過ぎ去っていくだけなんだが。
 まあまずはタイトルの惰性の意味がわからないと困るので、これを。
 だせい 【惰性】 (1)「慣性」に同じ。(2)今まで続いてきた習慣や癖。 
 こだわりと効率化はいいだろう。こだわりは料理人の時に妙に使うあれ。

 ・・・でだ、いつものように学校に行く。『まあいかないといけないから』ということを理由にして今日もいったわけだ。そのときに『学校に行くと新たな知識が得られる→さあ行こう』とか『楽しいイベントがある→さあ行こう』とか『もうお金を払っているからいかないと損→さあ行こう』のように特別な意味を持っていくことは少ない。でもだからといって『どうせ寝るだけだ。家で寝ても同じじゃないか→やめた』や『これこれこういう授業がある。今日のこれらの授業には自分として何の価値もない。だから家で勉強しよう→やめた』
 のようにまあいつも適当に思っていることを実行して、そして本当にやめることも殆どない。(まあそれでも、その正しさには頼らないで風邪を引くのが殆どじゃないかと思うけれど。)
 これが惰性。



 で学校に行っているうちに、『これはこの色でマーカーを引こう』のように、自分ルールが生まれてくる。そしてそのことには価値があるように思えてくる。もちろんその段階では最上の選択なのかもしれない。でもそうすると前のようによけいな考えを巡らすことはなくなる。そしてそれを固定して続けていく。
 これがこだわり。



ちょっと例を学校のことから料理のことに変えてみる。たとえばこの水でこの醤油でこの油で料理するといい味になる、というレシピがあったとする。
 するともう『それでなきゃ駄目』と思えてくる。
 しかしだ、もし同じ味、感触がでる組み合わせでコストの安いものがあったらコストの安い方を選べるだろうか。いやいままでそうやってきたんだからと、今までのこだわりを優先して選ぶだろう。
 つまりこだわりに束縛されて新しいルールが作りにくくなってしまっているわけだ。なまじある程度の勝手があるものだから、それで十分だと思ってしまう。そうこしているうちに理想である最高の味、最高のコストパフォーマンスの『効率的』から離れて一定しまうわけだ。



 それが後発の連中に先行している連中が敗れる原因になる。