投票に意味はないが、呼びかけることに意味があるという話

 『投票をしましょう』のようなポスターが、街のあちこちに最近見える。
 しかしだ、自分が投票して結果を覆せるのは、一票差または同数の場合だけだ。そんなことがあれば新聞が取り上げてネタにするからすぐわかる。
 学級での多数決の時もこれと同じ。自分一人で手を挙げても何も意味がない。
 しかし学級での時にはその手をみてあげる・・・いわゆる金魚の糞的なものが存在する。
 しかし、国の選挙でなんかいちいち『投票する気がなく』投票会場まで行っている人が、『誰かが投票しているから』投票するなんてことはほとんどない。だから自分が投票することに価値なんてほとんどどない。

 じゃあポスターや呼びかけ行為のような広告は否定していいのか。あれには意味がある。
 それはもしそれをすることによって百人の人が投票に行くのだとしたら、最大で百票差までひっくり返すことができる。百票差なんてのはまあ起こりうることだ。

 だから人に人にほとんど価値のない投票を呼びかける広告には価値がある。なんて不思議なことが起こるんだなぁ。