前々から考えていたことと、"生物はなぜ進化するのかの一文"をよんでさらに思うこと。

 本には哲学者K・R・ホッパーの引用として次のように書いてある。
「言ってみれば生命とは問題を解くことである。そして、この宇宙で唯一、問題を解くことができる複雑な物が生物である」
彼がコンピュータも問題を解ける、と主張された場合には「コンピュータは人間が問題を解くのに使う手段の一つにすぎない」答えると予想している。

 しかし人間のシステムを見ると、脳というハードで電気を流して計算(判定判断)をし動いている。
 これが目の前にあるコンピュータと何が違うだろうか。これも電気を流して計算をし動いている。
 そういうとこのコンピュータは人のために作った物であり、我々人間とは違うという反論が予想される。
 では、工場で暗い部屋の中で育てられるブタは生物ではないのか。人間の意志で作られた、コンピュータと同じ物だ。人間でさえその人間の過去の人間達が自分の血を残すために作られたのだから、人のために作られた物になる。

 脳死を死と社会が認めると仮定して、以下は話を進める。
 gooの国語辞典によると脳死という状態は脳が壊れた状態であり、そして脳幹死というのは脳幹の機能が停止した状態のことを言うようだ。
 だから脳死というのは脳が停止した状態、と言っていいと思う。

 コンピュータの稼働した状態、これが人で言うところの脳が生きている通常の状態。コンピュータの電源の切れている状態、これが人で言うところの脳死状態に当たると言うことになる。

 こう考えていくと進化したコンピュータと人間の生き死にに関する違いなんてせいぜい計算速度と腐敗ぐらいしかないと思う。