独り言。

 何の節操もないので、何も書かないのが一番よいのですが、猿に限って、何か書きたがるのです。明らかに猿と分かるように、猿の文字で書かれると非常にありがたいのですが、猿の中にもいろいろ居りまして、人様と同等に扱われたいばかりに、人様と同等の書式で風体をごまかすのです。
 このような私の独り言が、何かの間違いで、人様の英知なるものを探すものに紛れ込み、まるで人様のシステムにミスがあったかのように見せかかるのでございます。偏に、文字のみを盲信する、博愛的な、左翼的な方々のおかげで、このようなバグが存在していられるのであります。
 独り言と申すならば、静かに『メモ帳』に書き連ねればよろしいのではありますが、独り言が独り言であるのが耐えられない、やはり私が猿であることを示す社会的な顕示欲とでも申すのでありましょうか、そのようなものがあり、このように優しく無関心かつ心の中でつばを吐きかける皆様のお陰で、益をなさない猿ですら、ただ在ることを許されるのであります。
 このたびの私の話は、地下より始まります。元来、私は陸の上で暮らす生き物であります。そして、地上にある食料を戴き、残りの時間を逃亡とこのような独り言を書き連ねる生活をしております。
 しかしながら、逃亡という行為にはやはり色々とありまして、私は鼻が良うございますから、追い手の気を引かぬよう引かぬよう、人気のないところへ逃げ回るのであります。また、私のような物には、人様がすべからく、私が私でありがゆえに、詰り、貶し、誹られるのです。勿論それだけならばまだ良いのですが、鉄の棒で殴られ、針金のようなもので貫かれる、といった恐怖の中では、ただ存在することさえ困難であるのです。
 ゆえに、純粋な人様への恐怖ではなく、いまでは恐怖感に対する恐怖になってしまいましたが、私は普段から人様の居られない所に在るのです。
 だからこそ、今、私は地下に居るのです。一昔前であれば、あらゆる地下には人様が居り最も私の好まぬ場所でありましたが、最近では純粋な空洞のような場所さえ在るのです。それどころか、都市の高所にいれば、下の私の視野に入らないところから、誰かが私を覗いているのではないかという、不安から逃れられ、実に心地よいのです。
 この地下の私には広すぎる穴の中で、周囲に何一つない安心感の中に在るのですが、私のような物には、この安心感こそが不安なのです。なぜなら何者かが私に安心感を与えるために、このような環境を作ったのではないのかと不安になるのです。
 一度そのような疑念が浮かんだときから、私の心はすべからく不安に汚染されます。この不安を感じればもうこのような、地下のような場所にはいられないのです。出口はひとつしかないのですから、誰かがそこを入り口とすれば、私には出口が存在しないのです。

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