てきすたー遊び。

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(元の文)
 私が川岸を歩いていると、ある人にあった。
 その人は、どこからみても人である。
人が人に見えることを当たり前だと思う人もいる。決して抽象的な意味で言っているのではない。
 しかし遠くから眺めてみると、服やポーズ次第で、芝生の様にも、川岸の砂利のようにも見えることがある。まさに迷彩なんてものはそうだ。私は身につけないが、(もっとも今までと変わった柄のものを身につける変化が嫌なだけだ)登山中なら身につけていると見つけてもらえないこともある。じっとして動かない人は像や絵のように見えてしまうかもしれない。
 でもその人はどこから見ても人なのだ。テレビの人の様に喧しく動くわけではない。私なんかがテレビの中のような人を見ると、ぎこちないロボットが路上を動いているようで具合が悪い。
 ともかく、その人はただ人なのだ。

 私はその人に話しかけた。人に話しかけるわけのが好きなわけではないけれど、その人に私は話しかけたかったから話しかけただけだ。(なんでこんなに回りくどいかというと得意な人間として自分自身を少しでも扱われたくないからだ。何事も予想の範疇に収まっているのが私の生き方である。)
 きっと「やあ」とか「こんにちは」とか「もしもし」とか当たり障りのない言葉をえらんだのだと思う。あの人は私には目も向けなかったのだと思う。あの人の身につけているサングラスが左右には少しも動かなかったからだ。だから私はその人とコミュニケーションをとるのを止めた。



・・・・・・・・・・いやあ良くできた像だね。さっきの男なんてまるでこれが像だなんて気づかずに話しかけていたよ。
・・・・・・・・・・ありがとうございます。どうやってご注文の、「世にも珍しい像」を作ろうかと思案したかいがありました。人の部分部分から一番人らしい部分を取り除いて作った、今の世の中では奇をてらった物が沢山ありますのでその裏をかかせていただきました。

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(関西)
 わいが川岸を歩いとると、ある人にあったちうわけや。
 その人は、どこぞらみても人であるちうわけや。
人が人に見えることを当たり前だと思う人もいるちうわけや。決して抽象的な意味で言っとるのではおまへん。
 せやけどダンさん遠くから眺めてみると、服やポーズ次第で、芝生の様にも、川岸の砂利のようにも見えることがあるちうわけや。まさに迷彩なんてものはそうや。わいは身につけへんが、(もっともっともっともっともっともっともっともっともっとも本日この時までと変わった柄のものを身につける変身が嫌なだけだ)登山中なら身につけとると見つけてもらえへんこともあるちうわけや。じっとして動かない人は像や絵のように見えてしまうかもしれへん。
 でもその人はどこぞら見ても人なのや。テレビの人の様に喧しく動くわけではおまへん。わいなんかがテレビの中のような人を見ると、ぎこちないロボットが路上を動いとるようで具合が悪いちうわけや。
 ともかく、その人はただ人なのや。

 わいはその人に話しかけたちうわけや。人に話しかけるわけのが好きなわけではおまへんけれど、その人にわいは話しかけたかったから話しかけただけや。(なんでこないなに回りくどいかちうと得意な人間としてオノレ自身をちびっとでも扱われたくないからや。何事も予想の範疇に収まっとるのがわいの生き方であるちうわけや。)
 きっと、やあ、とか、こんにちは、とか、もしもし、とか当たり障りのない言葉をえらんだのだと思うわ。あの人はわいには目も向けなかったのだと思うわ。あの人の身につけとるサングラスが左右にはちびっとも動かなかったからや。やからわいはその人とコミュニケーションをとるのを止めたちうわけや。



・・・・・・・・・・いやあ良くできた像やね。さっきの男なんてまるでこれが像だなんて気づかんと話しかけとったよ。
・・・・・・・・・・ありがとうおます。どうやってご注文の、「世にも珍しい像」を作ろうかと思案したかいがおました。人の部分部分から一番人らしい部分を取り除いて作った、今の世の中では奇をてらった物が沢山あるんやのでその裏をかかせていただきたんや。

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(文明開化風)
 私が川岸を歩ゐてゐると、ある人にあつた。
 その人は、何処からみても人である。
人が人に見える事を當たり前だと思ふ人もゐる。決して抽象的な意味で言つてゐるのでは無ひ。
 然し遠くから眺めてみると、服やポオヅ次第で、芝生の樣にも、川岸の砂利のやうにも見える事がある。まさに迷彩なんてものはさうだ。私は身につけ無ひが、(尤も今までと變はつた柄のものを身につける變化が嫌なだけだ)登山中なら身につけてゐると見つけてもらへ無ひ事もある。じつとして動か無ひ人は像や繪のやうに見えてしまふかもしれ無ひ。
 でもその人は何処から見ても人なのだ。テレヴイの人の樣に喧しく動く訳では無ひ。私なんかがテレヴイの中のやうな人を見ると、ぎこち無ひロヴオツトが路上を動いてゐるやうで具合が惡ひ。
 ともかく、その人はたゞ人なのだ。

 私はその人に話しかけた。人に話しかける訳のが好きな訳では無ひけれど、その人に私は話しかけたかつたから話しかけたゞけだ。(なんでこんなに回りくどいかと云ふと得意な人間として自分自身を少しでも扱はれたく無ひからだ。何事も豫想の範疇に収まつてゐるのが私の生き方である。)
 きつと、やあ、とか、こんにちは、とか、もしもし、とか當たり障りの無ひ言葉をへらんだのだと思ふ。彼の人は私には目も向けなかつたのだと思ふ。彼の人の身につけてゐるサングラスが左右には少しも動かなかつたからだ。だから私はその人とコミユニケヱシヨンをとるのを止めた。



・・・・・・・・・・ひやあ良く出来た像だね。さつきの男なんてまるで此れが像だなんて氣づかずに話しかけてゐたよ。
・・・・・・・・・・有りがたうござゐます。だうやつてご注文の、「世にも珍しひ像」を作らうかと思案したくわいが有りました。人の部分部分から一番人らしひ部分を取り除ゐて作つた、今の世の中では奇をてらつた物が沢山有りますのでその裏をかゝせていたゞきました。

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(コギャル)
 あたしが川岸を歩いていると、ある人にあった。
 その人は、どこからみても人である。
人が人に見えることを当たり前だと思うしぃ人もいる。決して抽象的な意味で言っているのではない。
 だけどぉ遠くから眺めてみると、服やポ→ズ次第で、芝生の様にも、川岸の砂利のようにも見えることがある。まさに迷彩なんてものはそうだ。あたしは身につけないが、(もっとも今までと変わった柄のものを身につける変化がイヤなだけだ)登山中なら身につけていると見つけてもらえないこともある。じっとして動かない人は像や絵のように見えてしまうかもしれない。
 でもその人はどこから見ても人なのだ。テレビの人の様に喧しく動くわけではない。あたしなんかがテレビの中のような人を見ると、ぎこちないロボットが路上を動いているようで具合が悪い。
 ともかく、その人はただ人なのだ。

 あたしはその人に話しかけた。人に話しかけるわけのが好きなわけではないけれど、その人にあたしは話しかけたかったから話しかけただけだ。(なんでこんなに回りくどいかというと得意な人間として自分自身を少しでも扱われたくないからだ。何事も予想の範疇に収まっているのがあたしの生き方である。)
 きっと、やあ、とか、こんにちは、とか、もしもし、とか当たり障りのない言葉をえらんだのだと思うしぃ。あの人はあたしには目も向けなかったのだと思うしぃ。あの人の身につけているサングラスが左右には少しも動かなかったからだ。だからあたしはその人とコミュニケ→ションをとるのを止めた。



・・・・・・・・・・いやあ良くできた像だね。さっきの男なんてまるでこれが像だなんて気づかずに話しかけていたよ。
・・・・・・・・・・さんきゅございるけどぉ。どうやってご注文の、「世にも珍しい像」を作ろうかと思案したかいがあるしぃ→。人の部分部分から一番人らしい部分を取り除いて作った、今の世の中では奇をてらった物が沢山あるしぃ→のでその裏をかかせていただきました。

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(一人称変換+お嬢様)
 朕が川岸を歩いておりまして、ますと、ある人にあったので御座いますわ。
 その人は、何処からみても人で御座います。
人が人に見えることを当たり前だと思う人もいりますわ。決しまして、ましまして、て、て抽象的な意味で言っておりまして、ますのでは御座いません。
 で、ですが遠くから眺めてみると、服やポーズ次第で、芝生の様にも、川岸の砂利のようにも見えることが御座います。まさに迷彩なんてものはそうですわ。朕は身につけませんが、(もう少々も現在までと変わった柄のものを身につける変化が嫌なだけだ)登山中なら身につけておりまして、ますと見つけてもらえませんことも御座います。じっとしまして、ましまして、て、て動かない人は像や絵のように見えてしまして、ましまして、て、まうかもしまして、ましまして、て、れませんわ。
 でもその人は何処から見ても人なので御座いますわ。テレビの人の様に喧しまして、ましまして、て、く動くわけでは御座いません。朕なんかがテレビの中のような人を見ると、ぎこちないロボットが路上を動いておりまして、ますようで具合が悪いですわ。
 ともかく、その人はただ人なので御座いますわ。

 朕はその人に話しまして、ましまして、て、かけたので御座いますわ。人に話しまして、ましまして、て、かけるわけのが好きなわけでは御座いませんけれど、その人に朕は話しまして、ましまして、て、かけたかったから話しまして、ましまして、て、かけただけですわ。(なんでこの様なに回りくどいかといいますと得意な人間としまして、ましまして、て、てごご自分自身を少々でも扱僕たくないからですわ。何事も予想の範疇に収まっておりまして、ますのが朕の生き方で御座います。)
 きっと、やあ、とか、ご機嫌麗しまして、ゅう、とか、もしまして、ましまして、て、もしまして、ましまして、て、、とか当たり障りのない言葉をえらんだのだと思うので御座いますわ。あの人は朕には目も向けなかったのだと思うので御座いますわ。あの人の身につけておりまして、ますサングラスが左右には少々も動かなかったからですわ。でしょうから朕はその人とコミュニケーションをとるのを止めたので御座いますわ。



・・・・・・・・・・いやあ良くできた像ですわね。さっきの男なんてまるでこれが像だなんて気づかずに話しまして、ましまして、て、かけておりまして、ましまして、たよ。
・・・・・・・・・・ありがとう御座いますわ。どうやってご注文の、「世にも珍しまして、ましまして、て、い像」を作ろうかと思案しまして、ましまして、て、たかいが御座いますわ。人の部分部分から一番人らしまして、ましまして、て、い部分を取り除いて作った、今の世の中では奇をてらった物が沢山御座いらっしゃいますのでその裏をかかせて頂きましまして、ましまして、て、たので御座いますわ。

なんか無茶。

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テキスター
http://www.kazina.com/texter/index.html
良くできたおもちゃだと思う。